理美容師に夢を与える会社へ成長してほしい|大西泰行会長にリビアスへの想いを聞きました

リビアスの前身となったバーバーニュージャパン(現「ヘアーズNJ MEN」)。昭和38年に創業し、今もなお、創業時から変わらぬ場所で営業を続ける伝統あるサロンです。

このバーバーニュージャパンを創業したのが、大西昌宏の父であり、リビアスの会長である大西泰行(おおにし ひろゆき)氏です。

昭和38年に1号店を大阪府吹田市で起業した泰行氏。泰行氏が理容室をしていなければ、今のリビアスはありませんでした。

創業から50年以上がたち、御歳80歳を迎える泰行氏がリビアスの創業からこれまでを見て来て何を感じているか、当時のエピソードや、今のリビアスへの想い、そしてリビアスで働くパートナーへのメッセージなどをインタビューし記事にまとめました。

昭和38年に起業!高度経済成長の波に乗り急成長!

−−起業した当時のエピソードを教えてください

大西:出身は徳島で24歳の時に大阪へ出てきました。大阪に出たら自立して生活していかないといけないので、稼げる方法は何か無いかと考えていた時に思いついたのが理容室でした。

理容室って当時は凄く忙しくて、店内にお客さんがいっぱい、2〜3人順番待ちで並んでいるようなお店ばかりだったんです。それを見て、「これならできるんじゃないか!」と思い、理容師になることを決めました。

そこから専門学校に通い、昭和38年に大阪の宝大という場所に1店舗目をオープン。昭和42年には、同じく大阪の東町に2店舗目、昭和45年には千里中央に3店舗目をオープンすることになりました。

img_9731

大西:千里中央店をオープンした昭和45年には、大阪で万博が開催されました。お店を出していた東町店付近に万博へ来ている世界中の人が止まる宿舎ができたんです。そのおかげで外国人のお客さんもたくさん来てもらって、色々と楽しい想いをさせてもらいました。

大阪万博の目玉だった「月の石」って知ってますか?普通に見ようと思ったら数時間待ちのところをアメリカ人のお客さんに頼んで裏口から入れてもらって見せてもらったり、インドのお客さんにカレーをご馳走してもらったり、アフリカから来た方のカットをさせてもらったり、世界中の人と交流していました。

万博が終わってからは高度経済成長が始まって、街の開発が凄いスピードで進み、人口がどんどん増加していました。

私の出していたお店もたくさんのお客さんに来ていただいて、店の営業時間が終了しても10人ほどまだ待っているような状態の時もありました。

img_9679

大西昌宏が入社|社長の交代と苦悩

−−大西昌宏社長が入社された時のエピソードを聞かせていただけますか?

大西:昌宏は、就職先にはずいぶん悩んでいたみたいです。当時は就職がもの凄く良くて、どんな企業でも内定をもらえる時代で、昌宏も第一希望の会社から内定をもらっていたから、そこに行くかどうかずいぶん悩んでいましたね。特に、周りが大手の企業に就職する中、「理容室」で働くことに抵抗や偏見がある時代だったので。

ただ、私自身の経験から、自分の将来や進む道は自分で決めた方が良いと感じていたので、変に親の意見を言わないようにはしていました。もし、意見を言って昌宏がそれを聞き入れたとしても、自分で決めたことじゃなければ後で絶対後悔すると思ったんです。

仕事をしていれば、どんな仕事でも悩む時期があります。その時、その道が自分で選んだ道じゃなかったらきっと後悔すると思うんです。昌宏もだいぶ悩んでいましたが最後は自分で決めて、うちの会社に入ってくれました。

−−息子さんが自分の会社に就職すると聞いたときは嬉しかったですか?

大西:来てくれるのは嬉しかったですよ。それも、「自分の道はここだ」と自分で選んで決めて来てくれたのは凄く嬉しかったです。

昌宏が入社したころは、千里中央店がオープンして20年経ったころでした。

−−急な病気をされたと聞きました。

大西:病気ではないんです。風呂場で転んで、頭を打って内出血してしまって。転んですぐは気がつかなかったんですが、徐々に血が溜まっていって、ある日突然意識がなくなったんです。倒れてから1ヶ月ぐらい入院して、それを機会に社長を昌宏と交代しました。

−−交代する時不安はなかったんですか?

大西:2年間ぐらい一緒に働いてたので考え方や仕事ぶりはわかっていたから経営についての不安はなかったですよ。ただ、一つ心配していたことと言えば、私の時代から働いてくれていた従業員の方との関係作りですかね。

実際、長く勤めてくれた人もいたし、その方達が昌宏に変わって新しくなった会社でうまくやっていってもらえるかが心配でした。

−−どうだったのでしょう?

大西:私が辞めるタイミングで、当時店を引っ張っていた方達は独立していったんです。前からいた人が引退して、昌宏も新しい人を入れた。そこで会社の雰囲気も変わって生まれ変わりました。

img_9712

創業時から50年以上同じ場所で続いているヘアーズNJ MEN千里中央店。

今のリビアスに心配することは何もない。信じて任せる

−−では、ここからは今のリビアスについてお話を伺いたいと思います。会長はリビアスを見てて率直にどう感じますか?

大西:孫も2人とも入社して、若い人でも働きたいと思える会社なんだとわかりました。

私は息子も孫も信頼しているし信じている。だから何も心配していませんよ。本人達も何も言わないでただ信じてあげた方が前向きにやれると思うので社長を変わってからは、ほとんど何も言ったことありません。

自分の事業をやりたいと言って、「関西理美容サービス」を立ち上げたときも、バーバーニュージャパンを吸収した時も本人がやりたいようにやって成長していってるので、私はただ見守るだけです。

どんな仕事でも辛い時期はある。そこを乗り越えて成長していく

−−リビアスで働くパートナーへ何かアドバイスをもらえますか?

大西:どんな職業にしてもはじめての経験ってあります。今は大企業でも3割4割の人がすぐ転職する時代で、リビアスも例外じゃなくやめて行く方も多いんじゃないかと思います。

ただ、何か成果を創り出そうと思ったら、ある程度の期間はがむしゃらに物事に向かってやらないといけないと思ってます。

目標を決めてそれに向かってやる以外に成果を生み出す方法は無いんじゃないかと思います。必死にやってる中でいろんな事が生まれて、経験が積めて、成長すると思うので、是非、まずは頑張って続けて欲しいなと思います。

−−リビアスに期待するところはどんなとこでしょう?

大西:大卒の方や高卒の若い方も入ってくれているので、そのような人が一生を通じて働けるような会社になってくれたら良いなと思います。

リビアスに期待して入って来る若い人に夢を与えていけるような会社。途中で夢を諦めさせるのは、その人に対しても申し訳ないと思うし、企業としても頑張ってほしいですね。

もちろん、苦難もあると思いますが、必死にやれば道は開けるでしょう。

まとめ

リビアス創業の原点となった大西会長。インタビューには、50年以上前に購入したというスーツで臨んでいただき、リビアスパートナーへのメッセージや当時のエピソードなどお話を伺うことができました。

泰行氏が創業したバーバーニュージャパンは、大西昌宏社長へと受け継がれ、ヘアーズNJ MENへと名前を変えて、創業時から50年たった今もなお運営を続けている伝統あるサロンです。中には、創業時から30年近く働いているパートナーもおり、リビアスの歴史を象徴するサロンとなっています。

泰行氏の話されていたように、「リビアスパートナーが幸せになれる企業」を目指し邁進していきます。

今回、取材で訪れたヘアーズ MJ MENについては、こちらの記事で紹介しています。こちらも合わせてご覧ください。

昭和38年創業!50年続く理髪店|リビアスの原点「ヘアーズN.J MEN」とは?

2016.10.28